組織文化を変えようとするのではなく、2つのものを探してください

Peter Senge: Systems Thinking and The Gap Between Aspirations and Performance, Oct 10, 2013

質問者:もしとてもヒエラルキーの強い、あなたが言う「機械的な」言語を使う組織にいたとすれば、その組織の変化に影響を与えるために何ができますか?

センゲ:あなたが実現したいと思っている変化の性質について、もう少し話していただけますか?

質問者:もっと協力できる雰囲気。間違いや学びとなる経験に対して寛容で、ただ完璧な結果だけを追い求めない組織になることでしょうか・・・

センゲ:分かりました。つまりあなたが話しているのは「文化を変える」ということですね。それは、大変ですよ(笑)。長い時間がかかります。

組織の文化とは、多くの意味で人の性格に似ています。この意味で、この質問は先ほどの質問にとてもよく似ています。ただ、個人の習慣ではなく集団としての習慣です。通常そのような状況で、私は必ず人の話を聴くようにします。文化を変えようとしてはいけません。なぜなら、文化を変えようとするあなたのエネルギーが、組織文化をかえって強化しがちだからです

2つのものを見つけてください。1つ目は、人々がすでに、あなたが見たいと思う方法で働いているような場所です。 

私たちは組織文化というものを、しばしば実際以上に均質なものだと考えがちです。しかし、文化とは実際とても多様なものです。メインストリームの文化があり、特定の人たちが決まった役割、しばしば予測しやすいやり方で協働していますが、その一方で、いつも外れ値が存在しています。ですから、なにか特定の質をもった協力関係や人の評価方法など、表現はどんなものであれ、何か考えがあり、それがすでに存在していると知っているのならば、私はいつも「存在している」ものに注意を向けます。

次に、それがどう役立つのかという問題です。考えてみれば、組織というのはいつもプラグマティックです。組織は、文化を持っていますが、実践的でもあるのです。いつも何か特定の問題を解決して、特定の目的を達成しようとしているのが組織です。人々が、他と少し違う文化を持って活動しながら、頭を悩ませる問題を解決できている場所同士を結び付けることができれば、何か育むことのできるものを見つけられるでしょう

そして、先ほどの質問と似通った言語に気付きますか? しばしば機械的な表現、何かを「変える」のではなく、すでに存在するものがあるところに、何か別のものをどのように「育む」ことができるでしょうか? この方がずっと有機的な考え方です。個人ではなく組織に目を向けるなら、人々の注意を自然と引きつけるような現実的な課題を知ることが助けになります。ですから、もしほかと少し違うやり方で協働しているグループがいて、そして彼らが何かを結果として何かを達成していれば、ほかの人たちも興味を持つことでしょう。

いくつかたとえ話をしてみましょう。

従業員モチベーションか何かに問題を抱えていると想像してみてください。みんなにとってリアルな課題で、あなた個人だけの問題ではありません。組織内の多くの人が懸念しています。そして、こちらにはこのグループがいて、少し違う運営がされていて、モチベーションがずっと高い。それなら、向こうから誰かこちらに来て、そのグループが何をどうしているのか見てもらおうと思いませんか? 現実の課題に対応するための少し違うやり方があり、実践方法を少し変えられるかもしれない。みなさんなら、これに関心はありませんか?

ですから、文化とは習慣なのです。通常、人々が組織の中で特定の問題を解決する方法の結果として生まれます。そして、身動きが取れなくなってしまうのです。その習慣は、ほかの問題に対してはあまり効果的でないかもしれない。ひょっとすると、元々の問題に対しても、もはや効果はなくなっているかもしれません。しかし、変革のプロセスというのは、通常、何か人々が大切に思うものを達成するのに役立つと証明されているものに意識が向けられています。

例を挙げてみましょう。ミッションを原動力とする組織にもよく共通する問題があります。ここにいるみなさんは、とても強い使命感を持ち、とても強い目的意識を持っています。私は、強い目的意識を持った組織と数多くかかわってきました。しばしば、とても矛盾したことですが、これらの組織は、中で働く人たちにとっては困難な職場です。その実際の振る舞いは、往々にして残酷で無神経です。私たちが目的ばかりに集中しているため、しばしばあちこちでバーンアウトが起きてます。そして、それが高尚な目的によって正当化されています。

ですから、これは難しい問題です。しばしばこの高尚な目的のため、人々は「これをどうにかしなければならない!」という危機感や崇高さを感じています。そして、このエネルギーが、「私たちは、お互いをどのように大切にするのか?」あるいは「どうすれば、みんなにとって本当に健全な環境をつくることができるのか?」といったことから注意をそらしてしまうのです。

これは、組織の中に埋め込まれた文化的な性質の好例でしょう。本当に問題をはらんでいます。

あなたは大学の話をしましたが、私は大学を事例にあげるのは避けようとしています。私は人生の大半で大学と関わり続けてきましたから、かなり強いバイアスを持っていると感じるからです。そして、しばしば気付くのが、大学における多くの基本的なマネジメントの実践がひどいものだということです。特に、コラボレーションの開発や、人と人との協働を必要とする場合です。

あなたがヒエラルキーという言葉を使ったので、推測しているだけですが。多くの場合、大学や周辺でのヒエラルキーは、文化としてステータス(立場)と強く結びついているからです。大学では、明確なステータスのヒエラルキーが存在します。これは本当に問題です。本当に重要な取り組みをしている人たちが、しばしば過小評価されていると感じています。彼らがテニュア(終身雇用)のファカルティーではなく、もっとも高い役職にも就いていないからです。

重要な課題に取り組むことを妨げているものを明らかにするまで、変化は起こらないでしょう。これがプロセスの本質です。何であれ、人々がどうにかしようとしていてできていない実利的な課題とつなげること。そして、少し違う取り組み方があり、より効果的であると気付く助けをすることです。

彼らを説得することはできません。少しやり方を変えられるとか、少し違った会議をするといった、学習のプロセスを創り出さなければなりません。何が良いかはわかりません。たとえばの話をしているだけです。その結果、何か大切なことを実現できるなら、「なんだ、ひょっとすると私たちのやり方自体が問題なのかもしれない」となるかもしれません。これは厄介な領域です。しかし、これを心に留めておけば、違うやり方はしばしば目の前にあります。次に、文化が変化するためにもっとも効果的な方法は、人々が少しだけ違うやり方をすることで、もっと効果的に何かを達成できると気付く手助けをすることです。

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