自由とはシンプルな言葉である⑤「ネルソン・マンデラ」の物語

アフタブ: システムの実践者の中にも、また多くはそうでない者の中にも、文化を変容するようなインパクトを持つ者がいます。たとえば、ネルソン・マンデラを例にあげましょう。そこでは何が起きているのでしょうか?

ピーター: ああ、厄介な例です。これらの問いは難しいのです。なぜなら、私にとって多くに触れるものですから。幸運なことに、私はアパルトヘイト時代の最後の5年間にたくさんの時間を南アフリカで過ごし、その後の5年間も密に連絡を取っていました。

まず、マンデラが投獄されていた30年間に何が起きたかを語ることができるでしょう。マンデラは怒れる男でした。私は彼を知りませんでしたが、マンデラを知る人たちは知っています。南アフリカにいる間、直接マンデラに会うことはありませんでしたが、彼を良く知る多くの人たちと知り合いました。しかし、誰に聞いても、マンデラはいつも怒れる活動家でした。そして、その後の刑務所の中で次第に何かが変わっていったのです。釈放までの間に、根源的な運命という感覚を持っていたのだと思います。私たちが話していたスピリットに関して、私が考え得る中できっとマンデラは最高の体現者だと思うのです

間違いなく多面的なプロセスのほんの小さな一面をのぞいているに過ぎませんが、例として一部分を取り上げると、彼が刑務所の中で築いた関係性です。マンデラの就任式に出席した親しい友人から聞いた、素晴らしいストーリーのひとつです。

1994年、ついに南アフリカで選挙が行われました。マンデラが刑務所から釈放されてから、1990年2月だったと思いますがアパルトヘイトが公式に終了して、4年の月日が必要でした。デ・クラークが有名なスピーチをおこない、かつて活動を禁止されていたすべての政党の活動禁止を撤廃すると宣言しました。そのとき南アフリカにいましたが、私たちにとって非常に素晴らしい瞬間でした。マンデラが実際に釈放されるまでには、そこから1か月かもう少し必要でしたが。

それから、選挙が行われるまでにはとても混沌とした時期がありました。この4年間は極度に流動的で、あらゆるかたちの暴力が容易く勃発し得る時期でしたが、マンデラはじめ少数の人たちは、歴史が私たちを何かに向けて導いているという、ある種の根源的な感覚を持っていました。

何にせよ、とてもシンプルなストーリーです。刑務所からの釈放から4年が経ち、ついに選挙が行われて就任式となります。マンデラと一緒にいたのは2人の白人男性、南アフリカの言葉でウォーダーと言いますが、彼の看守だった人たちです。彼にとってとても重要な行為でした。そして、演説の中でマンデラは彼らに向かって言うのです。自分が・・・名前は思い出せませんが、この人とこの人を招待した。彼らはロベン島で私の看守だったから、私たちはお互いを人間として知ることができたと。マンデラの中で何かにヒビが入ったか、あるいは溶けたのでした。

そのあと彼がしたことの重要さは、南アフリカ人でなければ計り得ないと思います。すべてのセレモニーと就任式の終わりに、彼ら全員で南アフリカの新しい国歌を歌いました。誰一人歌ったことのなかった曲ですから、歌詞やら何やらを投影して。ここに新国家が樹立され、「新国歌がある」というのはそれを象徴するものでした。国歌が終わると、これは計画されていたのではなく、彼はただその場でやったのだと思うのですが、みんなを立たせて南アフリカの旧国歌を歌わせました。アパルトヘイトの国歌を、彼らみんなが歌ったのです。

45:20~ 新国家斉唱のあと旧国歌が流れています

このように、過去と現在を「受けとめる(ホールドする)」ことがカギです。ただし、このように「深く受けとめる」ことです。ですから、マンデラに何かが起きたことは明らかです。そして、だからこそブーバーの言葉からスタートしたのは素晴らしかったのです。あるポイントにおいて至る、ある領域に通じる道です。「大切なのは確かに自分ではない。確かに自分の過去でもない。自分は乗り物に過ぎない」。ただ、そのときに「乗り物としてのあなたが何者であり得るのか」という何かに足を踏み入れることができるのです。

アフタブ: あなたと同じく、私たちの多くが今の話に感動しています。私たちの心に触れているものは何でしょうか? この話の何が私たちに響いているのでしょうか?

ピーター: 分かりません。もちろん、個人として2、3つコメントすることならできます。まず、私にとっては個人としてつながりがあります。たくさんの親友、知人がこのプロセスに関わっていたからです。

ただ思うに、自由という言葉はシンプルですが、本当にそれに出会うとき自由は深く感動的なものです。私が自由と呼んでいるのは、内面の自由のことです。

マンデラにこうしたことができたのは、明らかに自分の過去、恐怖、怒りなどのすべてを超越、つまり、それらから自由になり、真の自由というスペースを持ち続けることができたからです。言わば、こういうことです。外側のものごとに変わってほしいならば、自分を欺いてはいけません。内側で変化できないならば、外側での変化は起こりません。

そして明らかに、このストーリー全体のもうひとつの要素は、抑圧した者と抑圧された者が分断を超えてつながるのは、偶然によるものではないということです。どこか深いエネルギーのレベルにおいて、経験した誰もが素晴らしいものだったと語る、その後5年間の「真実と和解のプロセス」にとって、マンデラの行為が絶対に欠かせなかったと思っています。

現在カナダで進行していることは第2候補と言えるかもしれませんが、私は、これが過去30年間に地球上で見た最高の文明的な行為だと考えます。抑圧した者と抑圧された者が一同に会して席に着き、真実を語り、互いを許す。私たちが次へ進めるように。私たちはこうした行為を目撃します。私たちが行き詰ってしまったと感じるときにも、いつもそこから抜け出す方法があります。牢獄にはカギがあります。しかし、そのカギは私たちが通常探しているものではないのです。

続きます:私たちの「正気でない文化」について

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