世界には、たくさんの問題があります。そこに私のうしろ向きな気持ちを付け足す必要はありません。

この選択は、いつだって私たちに与えられています。私たちの注意の矛先を、私たちが本当に大切だと思うものと同じ方向へ向けることは可能でしょうか?とても簡単に言えば、あなたの「恐怖」ではなく、あなたの「愛」が向かう方に向けることはできるでしょうか? 続きを読む 世界には、たくさんの問題があります。そこに私のうしろ向きな気持ちを付け足す必要はありません。

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オットー・シャーマー x ピーター・センゲ(U.Lab インタビュー その6)

U.Lab 1.0より、オットー・シャーマーによるピーター・センゲのインタビュー(前回の続き)です。MITシステムダイナミクス研究所でのジェイ・フォレスター博士との出会いを語ります。

2015年9月10日開始「U.Lab – Transforming Business, Society, and Self 2.0」の登録はここから


ジェイ(フォレスター)は、MITでこの特殊なシステム研究のアプローチを立ち上げた人物だった。彼はエンジニアだった。歴史的に見ても、エンジニアの中のエンジニアだった。MITのチームを率いて、初の汎用デジタルコンピューターを作ったのは彼だ。1940年代の後半から50年代にかけて、ジェイはコアメモリーと呼ばれるものを開発した。これは、電子計算を可能にするための、最初の技術的ブレイクスルーだった。トランジスターよりも前の話だし、他のどんな電子技術の開発、つまりハードウェアと呼ばれるものの、どれよりも前の話だ。実際の話、ジェイたちは真空管を使ってコンピューターを作ったんだ。ラジオに使われていた、40年か50年前のハードウェアのテクノロジーを使ったんだ。

しかし、彼らには、このビジョンがあった。ベーシックデザインのブレイクスルーを起こすことだ。そして、今日で言えば、ソフトウェアとハードウェアを融合させたんだ。彼らは汎用デジタルコンピューターを考案して、そして実際に作りあげた。ただ研究所の中で組み立てただけじゃなく、はじめの28台の汎用コンピューターの製造を指導した。このコンピューターが、北アメリカ全体に設置されて、初の北アメリカ防衛システムとなったんだ。

こんな風にして、ジェイは、軍から資金を得た。ジェイたちが契約を結んだ会社が、IBMっていう企業だ。IBMがコンピュータービジネスに参入したのは、こんな経緯だ。工学科のジェイの学生たちは、デザイン、設計を担当しただけじゃなくて、実際に組み立てて、インストールするところまで、IBMを監督していた。「私たちが、ぜんぶ指導したんだ」ってジェイは言っていた。

この話は、私が共感する点を2つほど示してくれている。まず、とても現実的だということ。もし私がその時代に生きていて働いていれば、もちろん冷戦の脅威の高まりに頭を悩ませていたはずだ。だから、「どのようにして北アメリカが連携の取れた防空システムを備えるか」という現実的なニーズがあった。だけど、もっと私にとって意味があることは、おそらく、その「ぜんぶ」を自分でやる、というところだ。

君も知っていることだが、MITの学生の中には大勢いる。アイデアを思い付き、ブレイクスルー、言わばプロトタイピングみたいなものだが、これを起こす。しかし、彼らはそれだけじゃなくて、その建設や製造全般、具体化、そして実行まで監督するんだ。

昔、海軍OBだったと思うんだが、35年が経って、この施設の1つを閉鎖したという男と話した。これらの施設が建てられたのは、1953−55年だったが、この男は、80年代半ばにその1つを閉鎖したんだ。施設が30年も経ってまだ稼働していることにただ驚くばかりだった。そして男は私に言った。「私たちはそこで全部をバラバラに分解して、危険がないことを確認していた。ほとんどの設備は地下に作られている。核攻撃があっても大丈夫なようにね」。そして続けた。「だけど、この30年間の利用データをすべて手に入れてみたら、30年間の平均ダウンタイム、つまり機械が動いていない時間は、1年に2分にも満たなかったんだ!」

すごいことだよ!もちろんエンジニアの功績だ。だから、この意味で、エンジニアとして教育を受けたことは、私にぴったりだったんだ。発案と実行の両方だからだ。特に、請負業者やエンジニア、そしてデザイナーなど、さまざまに幅広い人々たちが関わる時にはね。

オットー・シャーマー: その産業全体をインキュベートするということだね。

ピーター・センゲ: そう、産業を全部インキュベートするんだ。彼らは文字通り、コンピューター産業に命を与えた。今の私たちは、その頃からすると3代目か4代目の世代だ。これに関してジェイに聞いたことがあるんだ。MITに来て、多分2年後くらいで、その頃ジェイは私のメンターになっていた。私は、それで彼を知るようになった。ある日彼と話していて、私は言った。「あなたは今35歳で、このプロジェクトを完了させました」。プロジェクトが終わった時、ジェイはまだ30代半ばだったと思うんだ。「本当に素晴らしい業績ですね。プロジェクトはさぞかしワクワクするものだったでしょう?」

彼の応えは「ノー」だった。彼がそのとき言ったのは、「リアルな仕事は全部終わったんだ。私の目から見て、はっきりしていることは、これから少なくとも2世代くらいの間、人々がコンピューターを使うのは、自分たちが常にやって来たのと同じことをするためだ。ただスピードが速くなるだけで。大量のデータの処理だ。」

そしてジェイは言った。「人々がコンピューターを使って、今迄人間がやったことのないことを始めるのは、少なくとも2−3世代経ってからだよ。」そして、「それからが、また面白くなるだろう」。そして、彼はコンピューターの分野から完全に手を引いた。そしてここへやって来て、このシステムの分野を立ち上げたんだ。

参考:

Wikipedia ジェイ・フォレスター

Whirlwindと名付けられたコンピューターの歴史

続きます


これまでの U.Lab インタビュー 翻訳:

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