これからの10年間にどんなことが起こると感じていますか?(オットー・シャーマーの問い)

人々は正気を失ってなんかいない。とてもリアルで、とても切実で、あまりに大きな感情を伴う現実に声を上げているんだ。もしも私たちがその声に対立し、戦うのならば、彼らの恐れを一層強めるだけだろう。

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ピーター・センゲの毎日の修養(プラクティス)とは

多くの人が、「私にとっては、走ることがプラクティスなんです」と言いますが、これには賛成しません。ほとんどの人にとって、走るのはストレスへの対処法だと思います。本当の修養(カルティベーション)というのは、それをはるかに超えるものなんです。

世界には、たくさんの問題があります。そこに私のうしろ向きな気持ちを付け足す必要はありません。

この選択は、いつだって私たちに与えられています。私たちの注意の矛先を、私たちが本当に大切だと思うものと同じ方向へ向けることは可能でしょうか?とても簡単に言えば、あなたの「恐怖」ではなく、あなたの「愛」が向かう方に向けることはできるでしょうか?

デジタル世界のシステム思考 (8) 人間は、システム思考家です。

人間は、システム思考家です。自然が、自然と根本的に合致しない種を想像することなど、決してありえないからです。それほど捨てたものではありません。私たちは確かに、たくさんの問題を抱えています。しかし、源泉はそこではありません。問題は、私たちの能力ではないのです。私たちの生き方なのです。

デジタル世界のシステム思考 (3) 私が今まで5分間に話したことを紙に書いてください

ウンベルトの言葉はこうです。「ある人間が別の人間に現実を教えるとき、彼らが本当に行っているのは、服従の要請である」。なぜなら、そのときに私たちが暗黙の裡に主張しているのは、「私には、現実を見られる特権がある!」ということだからです。「私には、現実が見える。だけど、あなたには何か幻想らしきものが見えている!」

オットー・シャーマー x ピーター・センゲ(U.Lab インタビュー その4)

私たちが失うのは、自分自身についての「慣れ親しんだ考え方」だ。この「自分」は、ある意味で消失するだろう。しかし、そのときには、とてもしっかりした自己という感覚があるんだ。むしろ、この自分こそが、本当に確立した自己という感覚と言えるのかもしれない。それは、(認知や経験の枠を)超越した自己なんだ。

「選択する」ことについて

選択をすることの本質は何だと思いますか?私たちの誰もが1人の人間として選択を行う、その根本となる前提は何でしょう?それは「自由」です。ある意味で選択とは、私たちが自由で自律した人間であることを示す、最も根源的な表現だと言えます。これが、「私が選ぶ(I choose)」ということです。

URDT ウガンダの辺境を変革する

1985年頃、私はウガンダ出身の男、ムワリム・ムシェシェに出会いました。彼は1人の仲間と一緒に、とあるプログラムを始めようとしていました。これが後に、ウガンダ地方開発トレーニング(URDT)と呼ばれるようになります。彼らは、そのプログラムを当時大変な混沌の中にあったウガンダの中で、最も貧しい地域で行うことに決めました。

システム・リーダーシップの夜明け(3)マサチューセッツ州Rocaの事例(後半)

ピースキーピング・サークルを育てるのは、簡単なことではありません。それは、バルドウィン自身にとっても同じでした。15年前、Rocaが初めてこの輪を作るセッションを行ったときのことです。「40人が参加しました。若者、警察、保護観察官、地域のメンバー、友人たち・・・」バルドウィンは回想します。「オープニングセッションの半ばには、何もかもが爆発したようになっていました。人々は叫び、子供たちは罵り合い、 『ほら見ろ!こんなのがうまく行くわけがないんだ!』と全員が口を揃えました」。

内省について ピーター・センゲ

この(3本脚のイスの中央の)脚が内省(Reflection)です。内省的な会話(を行う力)。内省というのはいろんな意味で重要な概念です。会話は文脈・背景です。その上で内省が起こります。内省とは「私たち自身の思考について積極的に思考する」ことです。内省とは、鏡です(英語のReflectionには、反射という意味があります)。自分自身のことを、自分が見たくなかった方法で見ることです。

ただ内省を通してのみ、私たちは歴史を変えることができる

みなさんがご関心をお持ちの、組織における深いレベルの変化にとって本当に大切なものは、ほとんどが「目に見えない」ものです。当然だとされていること、背景に溶け込んでいるようなことです。今から400年前の歴史に(地動説を唱えて投獄された)ガリレオの話がありましたが、私たちは今もその仕組みを甘んじて受け容れているようです。