W・エドワーズ・デミングが語った「教育とビジネスの深いつながり」

2017年カーネギーサミットに集まった教育関係者に向け、センゲは自身のメンターのひとり、W・エドワーズ・デミングについて、またビジネスにおける品質管理運動と現代の教育改革のつながりについて語りました。


少しだけ時間を使って、自己紹介を兼ねてお話をしましょう。月曜日のトニーの話の中で、実に興味深かったことのひとつは、そこにパラレルな旅路があることに気付いたことでした。驚きましたよ。トニーが、私の古いメンターのひとりを引用したのです。W・エドワーズ・デミングという人物です。

教育関係者には、デミング博士の名前を聞いたことのない人も多いでしょう。20年以上も前に亡くなりましたが、すばらしい人物でした。日本では伝説の人物のひとりです。日本が戦後の焼け野原から、20~30年間で世界の経済大国の一角へと再興を果たす中で、その象徴的な人物です。1980年ごろまでに、このトータルクオリティームーブメント(TQM)、あるいは品質管理運動と呼ばれますが、これは特にビジネス分野で世界的現象になっていました。その後、ヘルスケア分野へと波及し、インプルーブメント・サイエンスなどを通じて、教育へと波及しています。

① ビジネスにおける品質管理運動とその意味

このムーブメントについてお話しするのは、この30~40年をかけた旅路から、いくつか学習すべきことがあると思うからです。それが、今ここに大いに関係していると思うからです。

まず、大切なのはツールではありません。そして同時に、ツールは大切なのです。品質管理運動が注目されたのは、この運動が1つか2つのビッグアイデアを含んでいたためです。例えば「ばらつき」。これが理解できなければ、何も改善することはできません。そして、継続的改善の精神において重要なことは「正解」を出すことではなく、何かに積極的に関与して、より良くし続けることなのです。

シンプルなこと(退屈と言っていいくらい)に見えますが、これはビジネスにおいて大きな変化でした。それまで上司たちが感じていたのは、答えを持っていなければならない、人々に指示を出して作業をさせなければならない、ということでしたから。これがまさに品質管理運動の意味していたところです。いくつかの組織がとてもうまくこれを実践しましたが、その数は比較的少数でした。ご存知のように多くの流行と同じで、品質管理運動も、広く、そして全般的に言って浅く普及しましたから。

ただ、非常に深いレベルでこれを理解した組織がいくつかありました。「この品質運動は、一連のツールや哲学に関するものだが、継続的改善のシンプルなアイデアには、とても画期的なものがある」と気付いたのです。多くの人が当初全く気づかなかったいくつかの示唆があります。例えば、「私たちは正解を知らない」ということです。組織の上司たちに尋ねてみましょう。従来型、階層的、権威的な、いわば権力が上から下へと向かう、トップである上司が答えを知っているべきだ、という組織において、この上司が継続的改善に本当にコミットしようとすることは、ある意味、みんなの眼前で裸になるようなことだったのです。多くの人が本当にそう感じました。

「私が問題の解決方法を知らないとみんなに伝えるだって?私たちにあるのは、すばらしい手法だけ?実際に現場で手を汚して答えを見つけなければならないだって?」

これは、ビジネスの世界の古い話です。教育とはずいぶん違うと、私も分かっています。しかし、今日に関して言えば、とても関連深いいくつかのアイデア、いくつかの学びのポイントがあると思います。これらのアイデアが教育へと向かうに当たって、似たような分水嶺に私たちは立っていると思います。

② 大切だったのは、作業員に組み立てラインを停める権利を与えること

私がお話ししようとしていることの1つ目、これはカルチャーの話であり、「したがって」いつもリーダーシップの話です。技術的なスキルやツールは、すべての問題が技術的な問題だという誤った思考へ私たちを導いてしまいます。技術的な問題は存在します。そして、それらは深くカルチャーに関わる問題です。AかBかではありません。これを理解したのは、比較的少数の企業でしたが、これら企業がカルチャーという点で抜本的なことを開始しました。

1965年か60年代後半ごろまでに、デミングは何度も日本を訪問しました。数名のアメリカ人が同行しています。アメリカ人はまったく関心を持っていませんでしたが、例えば、ジョー(ジョセフ)・ジュランという人物、彼らがこの哲学を説き始めました。

先駆けとなった1社はトヨタですが、数社がとても急進的なことを始めました。少しだけ、製造業の世界にいることを想像してください。パラレルなできごとに気付くことでしょう。階層構造があり、権威主義的なカルチャーを持つ、典型的な製造業のオペレーションという文脈です。トップがいて、現場のライン監督がいて、組み立てラインが動いています。組み立てラインで働く人たちは、まさにその作業だけを行っています。しかし、1社か2社(これを始めたのがどの会社だったか厳密には思い出せないのです)が、こう言い始めたという記録があります。

「フロントラインの作業員に、組み立てラインを自主的に停める権利を与えない限り、品質に関する基本的な問題は、決して理解できない!」

これがどれほど急進的だったか想像できるでしょうか?誰に権利を与えるって、フロントラインの作業員に、組み立てラインをストップさせるんですよ?なぜか?その理由は「組み立てラインを停めない限り、彼らが集まって話し合うチャンスが存在しないから」です。これもまた急進的な考えです。「ライン作業員に集まって話をさせ、データを集めて、何がおかしいかを調べさせる」のです。さもなくば、組み立てラインの端の誰かが「XやYやZに問題がたくさん起きている!」と気付いたとしても、彼には何の対策も行うチャンスはありません。全くのゼロでした。

さあ、彼らに実際に組み立てラインを停止する権利が与えられます。ラインを停めて、集まって、状況を分析します。この分析には、ツールがあってはじめて意味があるわけです。この大切なシナジーにお気づきでしょうか?ツールは本当に重要なものですが、ラインを停める権利を与えるのは、もっと重要なことだったのです。深いカルチャーの変革に至らなかった企業は、決して大きな進歩を遂げることはありませんでした。

③ ほとんどの教師は、組み立てラインの作業員のように感じている?

教師は、組み立てラインで働いてはいません。みなさんご存知の通りです。この会場の私たちのほとんどは教師、または教師と深いつながりを持つ人間です。感情として何らかの思い入れを持ちます。ただ、私の意見をお伝えするならば、この国の教師のほとんどは、ほとんどの時間、ほとんどの学校において、組み立てラインの作業員のように感じています。カバーしなければならない規定の指導要領に遅れないように、子どもたちがテストでちゃんとやってくれるように、全速力で競争しています。そうする中で、授業も組み立てラインのようになります。ライン上では、全員をテストしなければなりませんから。

ビジネス分野で発展した組み立てラインの思想と、200年前に教育分野で発展した組み立てラインの思想には、とても興味深い歴史的つながりがあります。

とある著名な教育者の発言を、意訳でご紹介しましょう。「私たちの学校が失敗に向かっている。もっと厳格にテストをおこない、生徒たちが学んでいるかどうかを調べなければならない。教師たちに結果に対する責任を持たせなければならない!」これが、1835年の発言です。

歴史的に見て、組み立てラインはコンベアのようなものです。どうして私たちの学校は、1年生、2年生、3年生、4年生、5年生、6年生・・・となっていると思いますか?何か神聖なインスピレーションによるものでしょうか?私たちは、これを当たり前だと感じています。つまり、子どもたちは、全員が同じペースで、決まった段階別の進度で学ばなければならない、という考えです。おそらく、理に適っていますよね?

いいえ、違います。一人ひとりの学びは、他の人と違うのです。一人ひとりに違うやり方があり、異なる性格があります。中には、学ぶためには動かないといけない子もいます。身体が動いていなければ、学べないのです。頭での学びが得意な子もいます。静かに座っていられる、そういう性質を持っているのです。しかし、別の子にとっては、それは文字通り拷問です。

そして、デミング博士の言葉はこうです。

我々のマネジメントの一般的体系は、人間を破壊してしまった」。これが、おそらくデミングのもっともよく使った言葉です。「我々のマネジメントの一般的体系は、人間を破壊してしまった。その破壊は幼児期に始まり、ハロウィーンの仮装大賞、金色の星型シール、学校の成績から、大学に至るまで、人やチームや部門はランク付けされ、上位には賞が与えられ、下位には罰が待っている」。

それ以前に、このビジネスに根差した工業化時代の製造業の論理と、教育のシステムのつながりを指摘した人を、私は知りませんでした。私はたくさんのリサーチを行い、デミングが、いつもそうなのですが、卓越した洞察を持っていたことに気付きました。

今存在するのは、工業化時代の学校です。今でも「工業化時代」の学校なのです。全体的に言って、根本的な意味ではまったく変化していません。200年前と違う点は、私たちの子どものそれほど多くが工場で務めるわけではなくなっただけです。こうした学校は、当時は非常に理に適ったものだったのでしょう。学校は、社会化(Socialization)のデバイスであり、これを完成させるのが、壁に掛けられたベルや笛でした。若者たちが、時間割で分けられ、高度に体系化され、予測可能で、そして、上司の完全なコントロール下にある環境に慣れるために!

みなさんご存知の内容かもしれませんが、私にとってはいつも深いルーツを振り返ることが役に立ちます。理由はとてもシンプルです。冒頭に話したポイントですが、これらすべて理に適っている一方で、なぜそれほど難しいのかをもっと深く振り返ることがなければ、変化は起こらないのです。技術的な面だけでなく、カルチャーという面においてです。初期から、ビジネスのコミュニティーで多くの企業を見てきましたが、5~10%の企業が、継続的改善の哲学を実践するために、深いカルチャーの変容を成し遂げました。これは困難なことです。

④ 「あなたたちは『品質管理』の名の下に、自分が何をしようとしているかが分かっているのか?」

あまり語られないストーリーですが、重要なポイントがあります。私は、デミングが90歳をすぎてはじめて出会い、そして、彼は93歳か94歳で亡くなりました。晩年になると、彼は自分を世界中に知らしめていた「品質管理(Quality Management)」という言葉を使うのを拒否するまでになっていました。世界中の誰もが「品質管理の父」を知っていましたが、デミングはその言葉を拒絶したのです。彼は「その言葉には、まったく何の意味もない!ほとんどの企業がこれまでずうっと続けてきた、バカバカしいことを続けるための都合のよい口実を与えているだけだ!」と話しました。「流行り言葉は利用されるんだ。妖精の粉(ピクシーダスト)だとか、同じ古いものに新しい名前を付けただけに過ぎない」

1992年か93年ごろ、のちにアメリカの標準テスト運動(Standardized Testing Movement)となる動きが始まりました。さまざまな会議が開かれていましたが、その中のひとつが、ニューヨークの企業や企業連合によって開催されました。この会場より小さい100人くらいの部屋にいたことを覚えています。その場には、国内46か47の州の教育長と、2つの巨大な教員組合が参加していました。私の席は最前列で、確か3分ほどスピーチをしました。そして、メインスピーカーが、私の右隣に座っていたデミングでした。

私は決して忘れません。このグループの前にデミングが立ち、企業系団体が大規模イベントでいつも掲げる大きなバナーボードが架かっていました。そこには「教育における品質管理」と書かれています。当時、この運動はそんな風に呼ばれていたのです。

この運動のポイントは何でしょうか?「テスト」です。もっと厳格なテストです。そして、前線に説明責任を持たせることです。つまり、教師に結果に対する責任を持たせるのです!

デミングは当時92歳だったと思います。こんなことを言えたのは彼だけだったでしょう。その言葉を私は忘れません。彼は立ち上がりました。デミングは、大きな講演をすることになっていて、結局、長い話をしたわけですが、その冒頭、アメリカ中のほとんどの州の教育長に向かって、彼の口から飛び出した言葉がこうです。

低いバリトンの声で言いました。

「あなたたちは分かっているのか?あなたたちが進めているのは、この国の公立学校を再興するために、この国のビジネスを破壊したマネジメント体系を当てはめようということだぞ?」

デミングは、この体系を目標管理(Management by Objective)と呼びました。上司がターゲットを設定し、測定可能にして、それを達成するのがみんなの責任になります。これはデミングにとっての品質管理に対するアンチテーゼだったのです。しかし、皮肉なことです。そのアンチテーゼこそが「品質管理」として知られるようになっていました。だから、デミングはこの言葉を使うのを拒否したのです。

彼の哲学は、こうでした。「プロセスを理解できなければ、みんなを集めて、何が起きているのか、そのプロセスを一緒に考えることができない。一緒に考えることができるカルチャーや風土、つまり信頼、オープンさ、すすんで間違いを犯すことのできるカルチャーを築くことができなければ、そして同じ信頼とオープンさという原理に基づくマネジメント体系を築くことができないなら、プロセスを理解することはあきらめなさい。結局、私たちがマネジメントの一般体系と呼んでいるものに立ち戻るだけに終わるでしょう。目標を設定して、測定可能にし、その目標を達成することを、みんなの仕事にするだけです」

20年以上も前の話です。昔話を少しおもしろいものにできればと思ったのですが。そこから5年かそこらで、標準テスト運動があり、それからは「No Child Left Behind」など、私たちが経験してきたとおりですね。ですから、これは複雑な領域だと思いませんか?本質的に、社会的にも文化的にも複雑です。技術的な問題を技術的に解決するだけではないのです。同時に、技術が進むことは実に大切です。AかBかの話ではありません。ただ問題は、私たちがこの方程式の後半を忘れてしまうことなのです。


If I could take a couple of minutes, to muse with you, and it’s also a kind of way to introduce myself. One of the things really interesting to me in studying the comments Tony made on Monday was that I was so aware of the parallel journeys. It really caught my eye when he quoted one of my old mentors, man named Edward W. Deming.

A lot of educators never heard of Ed Deming. He passed away over twenty years ago now. He was a quite amazing man, a really iconic figure in Japan, in Japan’s whole rebuilding its economy after World War II, growing from total disaster to one of the top performing economies and countries in two or three decades. By 1980s or so, this total quality movement, the term typically used to describe this, or just quality movement was becoming a global phenomenon, particularly in the world of business. Gradually, it across the threshold into healthcare, and maybe today through improvement science and things like this, crossing the threshold into education.

Now let me say just a word or two about the movement because I am thinking of some learnings from the thirty-or-forty-year journey that is probably pertinent here.

First off, it’s not the tools. And, it is the tools. The reason why the quality movement got real traction is because it came in with one or two big ideas, like variation, and if we don’t understand variation, we can’t really improve anything and this whole spirit of continuous improvement. It’s not about getting right answer. It’s about being engaged and getting better.

It seems so simple, almost mundane, but it’s a big shift. It was a big shift in the business world where bosses felt in the past they had to know the answer and tell people what to do. Some of the subtext in the quality movement was just that. And organizations that did it really well, which was relatively few… you know, like a lot of fads, it spread very widely and very shallowly by and large.

But a few organizations got it at a much deeper level and realized, ‘this was about a set of tools and philosophy.’ But the simple idea of continuous improvement is quite radical. It has a few implications, which many people did not get at all in the beginning. Like one, we actually don’t know the answer. As a boss in an organization, traditionally hierarchical authoritarian… the power flows top, the boss knows the answers, for the boss to be really committed to continuous improvement, it was sort of undressing in public. That was what a lot of people felt like. “Are we going to tell people that we don’t know how to solve problems?” All we have is the wonderful methodology? We are going to have to roll up the sleeves and figure out ourselves?

It’s an old story in the business world which I understand very different than education. But I think there are a few ideas and a few learnings that are very pertinent today. We stand on a similar threshold, as these ideas are moving into education.

First is what I am eluding to right now. It is about culture. And therefore it is about leadership, always. And allure of the technical skills or the technical tools, can lead us mistakenly think they are all technical problems. There are technical problems that deeply cultural. It is not either or. And relatively few numbers of businesses who understood this started to do radical things culturally. I think it was by 65, or late 60s, keeping in mind Deming made multiple trips to Japan along with a few other Americans, interestingly, who nobody in America had interest in, a man named Joe Juran was another, and started to preach this philosophy.

And a few companies, actually Toyota was one of the very first ones that did something really radical. You have to put yourself into the world of manufacturing for a minute,  and you will see the parallel. A typical manufacturing operation in a hierarchical authoritarian cultural context:

Bosses down to the local line supervisors, and the movement of the assembly line. And people on the assembly line are doing just that. They are on the assembly line. One or two organizations, I am never sure who exactly did that first but they are quoted on a few, “No, we will never understand the basic problem with the quality unless we give authority to the front line workers to stop the assembly line. Literally.

You can maybe imagine how radical that was. You are going to give authority to whom? The front line workers to stop the assembly line! Because if they don’t stop the assembly line, they will never have a chance to get together. Another radical idea: You are going to let these line workers get together? If they never have a chance to get together, gather data, and study what is going wrong? Somebody here at the end of the line realize, ‘We’ve got a lot of problems with X, Y, or Z!’ but have absolutely no chance to do anything about it. None! Zero! Until it happened.

Now they actually have the authority to stop the assembly line, get together, and analyze the situation. And of course, it is only useful when they have the tools to do it. Here you see this kind of important synergy. The tools are really important, but the authority to stop the assembly line was more important. Those organizations which never got the deep cultural changes never progressed very far.

Teachers are not working on the assembly line. We all know that. At some level we all, since in this room I am assuming most of us have been teachers, have had deep sense of connections with teachers, have a sort of emotional feeling for that. But I want to tell you, my opinion, most teachers, most of the time, most schools in this country, feel like workers on the assembly line. They are racing as fast as they can keep up with prescribed curriculum they have got to cover, so that kids all do OK in the test, which makes, by the way, a class like an assembly line because you have to test them all on the assembly line.

There is a fascinating historical connection between the assembly line thinking as it developed in business and the assembly line thinking as developed in education 200 years ago.

I will just paraphrase now. It is from an eminent educator, in which he says, “our schools are failing. We must become more rigorous about testing whether or not students are learning, making teachers accountable to achieve those results.” This quote is from 1835.

So, historically, the assembly line was a sort of carrier metaphor. “Why do we end up with schools with grade 1, grade 2, grade 3, grade 4, grade 5…? Inspired by divine inspiration? Seriously, we all take it for granted. “Kids, they all must learn the same rate, moving in a fixed step way, which probably makes a good sense, right?”

Wrong! Individual learning is different for everybody. We do it differently. We all have different predispositions. Some kids have to be in a movement to learn. If their body is not moving, they cannot learn. Some kids have the tune in their head. Some kids can sit quietly. It’s their nature. They don’t mind sitting quietly. For others, it is literally a torture.

Here is a quote from Deming.

“Our prevailing system of management has destroyed our people.” That was probably a statement Ed Deming used to make most often. “Our prevailing system of management has destroyed our people. The destruction starts with toddlers. A prize for the best Halloween costume, gold stars, grades in schools, and on up through the university, people, teams, divisions, ranked, reward for the top, punishment for the bottom.

I had never heard anybody makes this connection between the logic, you might say industrial age manufacturing logic, as it has taken the root in business. And it rooted our education system. It led me to a lot of study. And I found that Deming was as usual, remarkably insightful.

We have industrial age school. We still have industrial age school. It really has not changed at all in fundamental ways, by and large, for a large number of people. Except unlike 200 years ago, not that many of our kids go to work in factories. It probably made a lot of good sense in history at the point. It was a socialization device completed by bells and whistles on the walls. To キャナベイトhour by hour so those young human beings should get used to working in a work environment which was highly structured, highly predictable, and guess what? Completely in the control of the bosses.

You guys all know, but it is always useful to me to reflect on the deeper roots. And the reason for this is very simple. It comes back to the first point I made. All of this stuff makes good sense and it will not get done without deeper reflection on why is it really hard. Not just technically, … culturally.

Having watched a lot of people in the business community, in the earlier days, 5-10 percent of businesses kind of go through this deep cultural transformation in order to actually implement the philosophy of continuous improvement. It is hard.

And it is a kind of untold story. It got so extreme. In the later years of his life, I did not get to know Ed Deming until he was in his early nineties. He passed away when he was 93 or 94. He got to the point where he refused to use the term ‘quality management’ which he was world-famous for. Everybody in the world knew the master father of quality management. He would refuse to use the term. He said, “It means absolutely nothing! All it is doing for most of the organizations is to give them a good excuse to keep doing stupid things that they have been doing all along.” Fads get coopted. New language like pixie dust. Use same old stuff, just new language.”

It was about ‘92 or 93. This was the beginning of what did become the standardized testing movement in America. This particular meeting was organized by business organization, business network organization in New York. I never forget, being in the room about a hundred people sitting there, we had in that room about 46 or 47 State Heads of Education from the states in America with the presence of both large teachers unions. And, I am sitting there up front. I think I talked for three minutes. The main person in front was Ed Deming sitting right to my side.

I never forget, Deming was standing in front of this group. The big banner was conference board which business-based organization puts on the big meetings. Big banner across the top, saying “Quality Management in Education.” That’s what it was called back then.

 

You know what it was about? Tests. Testing and more rigorous testing. Drive accountability to the front lines. Make teachers accountable for achieving results! I will never forget. Deming at this time was probably 92 or so. He was probably the only person who could pull this off. I never forget his words. He stood up. He was supposed to give this big talk, which he eventually ended up talking for a while. But this was the first words out of his mouth to most of the State Heads of Education of America.

 

He had this deep baritone.

 

Dude, do you realize you are in the process of applying for the restoration of the public schools of America the system of management that has destroyed American business?

 

He called this management by objective. Bosses set the targets. Make targets measurable. People accountable for hitting those targets. It was to him the antithesis of quality management. Yet, ironically, it had become known as quality management. That is why he was refusing to use the term. His whole philosophy was, “If you don’t understand the process, you can’t engage people for thinking together about the process, what’s really going on here? If you can’t create the culture or climate that allows them to think together.” The trust, open-ness, willingness to make mistake, if you can’t create a system of management based on the same principle of trust and open-ness, forget understanding the process! You will just end up defaulting what he used to call prevailing systems of management. Set targets, make it measurable, make people’s jobs depend on hitting those targets.

That was over 20 years ago. I thought of making history a little bit interesting.

Within 5 years or so from there, we had the standardized testing movement, and No Child Left Behind and we all lived through that.

So, isn’t it a complicated territory? Genuinely complex, socially and culturally. It is not just technical fix for technical problems. And, technical sophistication is really important. It is not either or. The problem is that we forget the second half of the equation.

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