デジタル世界のシステム思考 (2) 人間は目に見える現実を認知するのではない

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前回の続きです

私には、もうひとり重要なメンターがいます。ウンベルト・マトゥラーナという名の偉大な生物学者で、チリ人です。生物学の分野と、チリ(彼は生物学以外にも多くの一般向け書籍をスペイン語で書いています)以外ではあまり有名ではありませんが。

実は、オートポイエーシスと、その反対のアロポイエーシスという言葉を考案したのは、ウンベルトです。彼は、生命と、社会という現実に、強い関心と畏敬の念を持っていました。彼は生物学者であり、MIT出身の人物でもあります。ポスドクとしての研究で、非常に有名なプロジェクトに参画しました(訳注: レトヴィンの「蛙の目はその脳に何を伝えるのか?」という実験です)。ここから後に、とても多くのノーベル賞受賞者が生まれました。当時、ウンベルトはチリに帰るよう勧められて、母国のチリ人たちと共にいるために帰国していました。そのため、彼はノーベル賞を受賞していませんが、このプロジェクトにおける研究を行ったポスドクの1人だったわけです。

「サンチアゴの認知理論」というとても著名な理論があります。少し専門的すぎるかもしれないので、このお話とのつながりを説明したら、早く切り上げて元のテーマに戻ります。

私たちは、リフレクション(振り返り)が必要な時代に生きていると思います。すべての重要な問題は、テクノロジーの使用における「人間という文脈」全体にこそ含まれているのかもしれないということです。マシーンやテクノロジーと生きているシステムを比較して、その意味を問うことばかりに、あまり長い時間をかけていられない時代に、私たちは生きています。

ウンベルトは、生物学においてオートポイエーシス理論だけではなく、このサンチアゴの認知理論によって、特によく知られています。これは、あの(カメラを指さして)デバイスの「認知」と私たち、生きているシステムの「認知」の違いを説明するすばらしい方法です。

このサンチアゴの認知理論のエッセンスは、「人間は、自分自身の現実を認知するのではない」ということです。そうだと考えるのは、危険な、過度の単純化です。私たちは、ただ受動的に周辺世界の感覚をデータとして受け取り、カメラのように記録するのではありません。みなさん、昔のカメラの倒立像をご存知ですね?もちろん、似たようなことが目の内部では起こっていますが、それは「認知」における単なる物理的な一面にすぎません。

ウンベルトだったら、こう言うでしょう。「私たちは、見える世界を認知するのではない。私たちは、認知できる世界を見ているのだ」。つまり、私たちは、ただ目に見える世界を認知するのではなく、私たちが「どのように認知すべきかを知っている」世界を見ているのです。

女性には、男性と違う世界が見えますし、その体験も違っています。営業の人に見える世界は、エンジニアのそれと違っています。中国人が体験する世界は、西洋人の体験する世界と違います。他にもたくさんの例があります。私たちの「認知」は、私たちの歴史を反映するものです。それは、生きているシステムの性質なのです。

これは、カメラにはない性質です。あのカメラは情報を記録して、見ての通り、あらゆるものをデータとして保存します。一方、人間はそういうわけにはいきません。これを理解することがとても大切です。これは、現在生まれつつある、生きているシステムに対する理解の土台となる考え方です。

ですから、私たちが、子供たちとテクノロジーについての具体的な課題を理解すればするほど、私たちが振り返って考えなければならないのは、私たち大人と子供たちとの関係性、関わり方、その関係の豊かさなのです。考えるべきなのは、テクノロジーそのものではないのです。私たちが、振り返ることができるかどうかが問われています。

続きます

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I actually like the term used by another important mentor, a man named Humberto Maturana. He is a very eminent biologist. Chilean. Not very well-known except inside the world of biology and in his home country, Chile, where he has written a lot of non-technical books in Spanish.

Humberto actually originated the term ‘autopoiesis’ versus allo-poiesis. Humberto has a very deep appreciation of the living and social reality. He is basically a biologist, coincidently, another MIT guy. He did a post-doc in MIT on a very famous project, which eventually won a whole bunch of people Nobel Prizes. He was advised that time to return to Chile because he wanted be with his own people. So, he actually was not one of the recipients of Nobel Prize, but he was one of the post-docs who did the research.

A very famous word called Santiago theory of cognition. It may sound too technical but I hope it is not too much. I will wrap it up and bring it back to our theme here.

I think we are in a time where reflection… I appreciate the themes popped up here, like role of reflection, role of parenting. You might say it’s the role of the whole human context for the use of technology is where all the important issues lie.

I think we are in a time where we really cannot spend too much time reflecting what the heck do we mean by machine or technology versus living system. Humberto is especially famous in biology not only for the theory of autopoiesis but the theory of Santiago theory of cognition. It is a beautiful way to appreciate the difference between (pointing at the camera) cognition of that device and the cognition, perception or awareness of us as living systems.

The essence of Santiago theory of cognition is that ‘human beings do not perceive their reality.’ That is a dangerous oversimplification. We do not simply passively take sensory data in the world around us and record it like the camera. You know the old reverse image of the camera. Something like that is going on in the eye, of course, but that is just physical of perception. So, Humberto would say, “We do not perceive the world we see. We see the world we perceive.” We do not simply perceive the world we see. We see the world we know how to perceive. A woman sees and experiences a different world than a man. A salesperson sees a different world than an engineer. A Chinese person experiences a different world than a Western person. And on and on. Our perception is a reflection of our history. That is a characteristics of living systems.

It is not a characteristic of that camera. That camera records information and obviously electronically can store all kinds of stuff. Human beings do not work that way. It’s very important to understand that. It is one of the cornerstones ideas emerging understanding of living systems. I feel a little like, you are just ask paradoxical
The more we understand the practical challenge of technology with our kids, the more it brings back to us, our relationship, our engagement, our wealth of adult relationships with kids as opposed to the technology itself. Our ability to reflect.

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