オットー・シャーマー x ピーター・センゲ(U.Lab インタビュー その4)

U.Lab 1.0より、オットー・シャーマーによるピーター・センゲのインタビュー(前回の続き)です。第2回の「U.Lab – Transforming Business, Society, and Self」は、2015年9月10日開始です。

登録はここから


現代に何か特別なところがあるとすれば、私たちが知り得る限りの話だが、この問題が歴史上初めてグローバルな舞台で活動していることだと思う。私たちが知るかぎり初めて、私たち人類が、地球というプロセスの一部になっている。

そしてこれはもちろん、種の絶滅が表しているものの1つだ。 確かに、過去にもあちこちで人口が増大したことはあった。しかし、今起こっていること、エコシステムの破壊、グローバルな気候変動、種の絶滅などは、グローバルな現象だ。私たちが知る限り初めて、大規模な、集団としての人間の活動が、本当に地球のプロセスの一部になっている。つまりある意味で、今は新しい時代だと言える。

しかし、この問題は、昔からの問題なんだ今、私たちは地域レベルではなく、グローバルな規模で、それに気が付かなければいけない。しかし、それなりに正確だと思うのは、もちろん大まかに言っての話だが、人間社会のほとんどは、その歴史の中で、調和を手に入れらることができなかった。地域レベルにおいてさえ失敗してきた。だとすれば、私たちがグローバルなスケールでこの調和を達成できる勝算は、あまり高いとは言えない。

それでも、私たちのキャパシティーは大部分が手つかずで残されている。自分自身や家族、民族やグループを超える意識、もっともっと大きなレベルでの気付きに至るキャパシティーだ。これはきっとほぼ無限のキャパシティーなんだ。この種の気付き、この意識が生まれ得るということを、人類の歴史が実に数多く示している。

先週インドネシア人たちと見たビデオを、それからほんの5日後くらいにカリフォルニアの教育関係者たちにも見せたんだ。これは、 宇宙飛行士たちが、 地球を宇宙から見た体験というとても素晴らしい事例だ。彼らが体験したのは、地球の美しさだけじゃなく、ただの畏敬の念でもなく、これは「ワオ!あれが私たちの故郷か!」っていう体験だ。

「私は、その場所を知っている。感じることができる。頭で考えるだけじゃなく、実際に感じることができる。自分の内側に感じることができるんだ」という感覚、これは、特別なタイプのサマディー(三昧: ある一つの対象に対して,まっすぐ平等に働き、他の対象に気が移ったり乱れたりしないこころの状態)だ。仏教のことばだが、ずっと何年も前から知られている、サマディーというものがある。宇宙飛行士が何千年も前からいたから知られているわけじゃなく、自分自身をその状態、この根源的な相互関係性と意識状態の中に置くことのできた人々が、ずっと以前から存在していたからだ。

この体験が予想と違っているところは、私たちは自分自身を失ってしまうわけではない、ということだ。私たちが失うのは、自分自身についての「慣れ親しんだ考え方」だ。この「自分」は、ある意味で消失するだろう。しかし、そのときには、とてもしっかりした自己という感覚があるんだ。むしろ、この自分こそが、本当に確立した自己という感覚と言えるのかもしれない。それは、(認知や経験の枠を)超越した自己なんだ。いつもそこに存在していて、あるとき突然、私がその自己を訪ねていって、「ああ、そうか、ここにいたのか。君を知っているよ」っていうものだ。

逆に、私たちが普段考えている、よりローカルな自分、この身体や、個人的なエゴ、歴史、ペルソナといったものは、ただこっち側にいる、ほんの小さい存在にすぎないんだ。その自分は消失するんじゃない。同じ場所にいる。ただ、ずっと大きな文脈の中に存在しているんだ。 だから、深い、生来の人間のキャパシティーなんだと信じなければならない。現象としての部分と、そして意識という部分、この2つの部分がいつも存在しているんだ。


これまでの U.Lab インタビュー 翻訳:

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I think if there’s anything that’s distinctive about today, as best we can know, it’s the first time this issue has been playing out on a global stage. It’s the first time, as far as we know, the humans are now part of the earth process.

And of course that’s one thing that the elimination of species represents. Sure, there was a big population over here or our population over here, but there really is a global phenomenon– the destruction of ecosystems, global climate change, the eradication of species. For the first time as best any of us know, human activity writ large, collectively is actually part of the earth process. So in a sense it’s kind of a new age.

But the issue is an old issue. It’s just that now we have to awaken to it at a global scale as opposed to just a local scale. And given what I assume is a fairly accurate but obviously broad brush rendering of human history that most human societies have failed to achieve harmony on a local scale, the odds are probably not terribly terrific that we will achieve this on a global scale.

Still, the capacity is probably largely untapped, the capacity for awareness beyond myself, beyond my local family, and clan, and group– beyond, beyond, beyond– is probably virtually an infinite capacity, because we have so many indications from human history of this kind of awakening, this awareness that can be generated. The video that we were watching with the Indonesian people last week, which I then used just about five days later with a group of educators in California, is such a beautiful example–the astronaut’s experience of looking at the Earth from space. Not just the beauty of it, not just the awe of it, but this kind of, wow, that’s my home.

“I know this place. I can feel it. I not only can think about, but I can actually feel it. I can feel it inside me.” There’s a particular type of samadhi, which is a Buddhist term– it’s a particular type of Samadhi that’s been recognized for years, not because there have been astronauts for thousands of years, because there’s been people who kind of put themselves in that place of this profound interconnectedness and awareness.

And it’s an ironic aspect of that experience that you don’t really lose yourself. You lose a kind of habitual way of thinking about yourself, so that self kind of dissolves, but there’s a very robust sense of self. You might say it’s the robust sense of self.

It’s the transcendent self that’s always sitting there. And all of a sudden, you go, oh, hi, I know you. But the more localized self, the body, the personal ego, history, the persona as we normally think of it is kind of sitting as this little thing over here. It doesn’t disappear. It’s there, but it’s sitting in this much bigger context. And you have to believe that that’s a deep innate human capacity. So there’s always been these two parts– the phenomenal part and the consciousness part.

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